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日志


2006/10/29

5th車いすテニス岩倉大会

第5回目となる車いすテニス岩倉大会が今日10月29日岩倉市の野寄テニスコートで開催された。
昨夜の雨も上がり、10月末には珍しい暑いぐらいのテニス日和。
30チームの車いすテニス選手とスタンディング選手がペアーを組むニューミックスダブルスがA・Bクラストーナメントで競われた。
サービスエースあり、クロスパスありのレベルの高いゲームが続いた。運営は今年から岩倉市テニス協会を中心に社協とそれに愛知車いすテニス協会が加わっての自主運営だ。
 
この夏、福祉大での24時間テレビで先のアテネパラリンピック車いすテニスダブルスやウインブルドン車いすテニスダブルス優勝の世界ランキングNo1の斎田選手とテニスをした高校2年生の水越君も参加していた。
私のテニスは、最悪の一日。パートナーの生田さんに申し訳ないゲームの連続でした。
 
その後久しぶりに若ちゃんと西春のアットホームな居酒屋で一杯やり、テニスと共に楽しいときを持った。
新たな出会い、久しぶりの語らい、いいものである。
2006/10/24

大学ラグビー

東海学生ラグビーのゲームを久しぶりに観戦した。
20数年間監督をしていた時から比較すると、変な言い回しである。
10月21日岐阜市の長良メドウ球戯場で行われた2006東海学生ラグビーの
日本福祉大学(昨年9位)VS名城大学(昨年1位)と第2試合愛知工業大学(昨年4位)VS朝日大学(昨年2位)の試合であった。
第1試合は、正に名城大学が終始王者の戦いを展開した。ゲームスコアは102対0。
それでも、日本福祉大学にも後半の開始10分間当たりに、いいリズムの展開があり、敵陣での得点チャンスもあった。その数少ない得点チャンスで、ミスを減らし確実にトライを重ねたいものだ。
残念ながらターンオーバーされてチャンスが消えていくうちにまた相手のリズムでの試合展開であった。
でも、このような一方的ゲーム展開でも名城大チームは、互いに1つ1つのプレーの確認と反省をし、実に有効な声によるコミュニケーションができていた。曾津の無い、手を抜かないプレーとゲームに感動さえ覚えた。
 
第2試合は、愛工大が常に1つリードでまったくの互角の試合、採れば取り返すのシーソーゲームで、最終的に20対20の引き分けに終わった。
愛工大が後半勢いを失いつつあるとき、朝日大学のバックスのゲインに苦しみだした時に、それまでの優位なFW戦でゲームを進めていたら、バックスの怪我交代のリスクも少しは消せれたかなーと思ったが、最後まで集中した素晴しいリーグ戦2位争いのゲームであった。
 
日本福祉大学チーム諸君、勇気を奮い立たせ、手先のみのタックルでは決して相手プレーヤーとボールを止められない。しっかりした身体での防御からチャンスが生まれることを肝に銘ぜよ。走力および激しいタックルでボールをゲットしようとするプレーヤーも1、2名記憶に残った。彼らのプレーとラグビーマインドを見習おう。
次週と今シーズンの健闘を祈る。

サツマイモ収穫

先週末我が家の庭菜園でサツマイモを収穫した。
銘柄は「つくば金時」である。
収穫は不良、小さい芋が多く、その量も少なかった。
「ジャガイモ」の収穫が記憶に新しい娘たちは、楽しそうであったが期待はずれの様子でした。
収穫の一部を下の写真に納めた。
 
6月の苗さしの時期に寒い日が続き、3本ほど枯れてしまった。
根だしポットで十分な寝出しをしてから定植したものの方が大きく育った。
何事も農業は自然と対峙していて、そして経験の積み重ねである。
来年は、どうしようか迷っている。芋ツルが多く、処分に困る。
2006/10/20

命 最前線

1995年1月17日午前5時46分
近代未曾有の関西淡路大震災が発生した。
この大地震で6000余名の尊い命が奪われた。
この悲劇と救助にあたった神戸市消防士をストーリーにして、
命と生活について考える「演劇 命・最前線」を鑑賞する機会があった。
1985年1月28日未明の午前5時45分スキー授業で長野県竜王スキー所に向かっていた
3台のスキーバスのうちの1台のバスが犀川笹平ダム湖に転落し、
教員、学生、運転手の25名の尊い命が散った。
この悲惨な事故の教訓を引き継ぐために、「安全の日」を定め、
学生・地域・教職員が一体となって事業を展開している。
今年は、その一環として「震災の演劇」をお呼びしたのだ。
神戸を中心とする若者たちの熱の入った公演であった。
 
劇団の責任者の方のお許しを得て、発信している。
「人の命」「自然の恐ろしさ」「人間愛・家族愛・近隣愛」などなど
スキーバス事故のときの関係者として生涯の供養を心に刻んでいる私は、
改めてこの演劇を通して考える機会になった。
いい芝居をありがとう。
2006/10/15

諏訪湖でテニス

久しぶりにテニスツアーに参加した。所属テニスクラブ主催の秋の諏訪湖テニス合宿だ。
天気も良さそうで、紅葉も始まりバイクで出かけた。
長い恵那山トンネルが嫌で、知多から湾岸道路、足助、稲武、飯田、また中央高速で合計250km、4時間で諏訪までバイクを走らせた。
特に153号線飯田街道は、お気に入りツーリングコース。
稲武や平谷地区の深い谷の木々の葉は、既に黄色や赤に染まりつつある。
比較的早い時間であったためか、交通量も少なく快適な往路のたびであった。
 
昼に山の上の諏訪湖の森リゾートについた。
諏訪湖が一望できるの南側の山の上にテニスやゴルフが広がっている。
早速テニスを楽しんだ。
ところが、楽しむどころのテニスではなかった。
4つのグループに分かれて、基礎練習なのだ。
それも高校生か大学のテニス部の強化合宿のようなメニューで走りっぱなしのテニス基礎トレーニングと言ったところだ。
おまけにミスボールの数だけ、ジャンプやランなどの「罰トレーニング」まで付いている。
全く、若いときのスポーツトレーニングを思い起こさせる合宿だった。
 
老若男女総勢35名の賑やかな夕食会が終わって、諏訪湖の夜景をはじめて眺めた。
ここの夜景も神戸、函館、サンフランシスコに負けず劣らずの綺麗なものだ。
函館の夜景と似ていて、海・湖の黒と光のコントラストがすばらしい。
50も半ば過ぎの僕にとっては厳しかった今日のトレーニング影響が真夜中に出た。
寝ていながらの下肢の痙攣がきたのだ。それも左右、下腿と大腿部に同時に来ている。
脚を伸ばし、正座し、マッサージするなどしてやっと治めた。
時折水分補給はしたが、たぶんひんやりする位の気温なので水分が少なくなったのだろう。
明日のゲームに不安を覚えながら、再び休んだ。
 
やはり年配者は朝が早い。小森さん、○○さん、。。。
朝日が八ヶ岳に映え、諏訪湖の湖面から朝もやが上がって美しい早朝の温泉に浸かって
幸せな気分になった。
午前のゲームは、グループ対抗ミックスダブルスとダブルスだ。初心者の方や初級者の方も一緒に参加し、むしろテニスゲームのマナーや進め方などをアドバイスしながらの楽しみテニスであった。
でも、対抗戦。終了間際では各チーム代表選手や応援団もやや真剣に勝にこだわってきた。
午後もレベル別ダブルス個人戦が企画されていたが、
昨夜の痙攣、バイクでの帰宅時間などを考えて、これで上がることにした。
バイクで出発の準備をしていると、「もう上がり?気をつけて」「また。テニスやりましょう」と声をかけていただいた。
参加者の中で知り合いは2、3名であったのにスポーツはこうして皆を友達にさせ、仲良くさせる。
スポーツコミュニケーションとはこの事だ。
初めてのテニスクラブでの諏訪湖テニス合宿、思い出深いツアーでした。
 
写真を見る場合は、写真をクリックして拡大してお楽しみ下さい。
 
2006/10/10

腰が痛い

妻玲子が腰痛(こしいた)でかがめない、歩けない、登れない、家事が出来ない。
マスオ行きつけの整体治療院(カイロプラティック)やスポーツマッサージ治療院へ
ガイドヘルプして治している。
それぞれ良いところがあり、時間とコネとカネで回復には向かっている。
 
付き添っていると、『先生、新聞なんか読んどらずにーこれを見て、家でせにゃー』と叱られる。
「痛くない程度にこれくらいなことは出来るでしょう。」「やってみやあー」と強烈な名古屋弁が飛ぶ、
ベッド上の妻を被検者にのやらされる羽目になりそうだったが、「結構です。」と丁重に断った。
 
このスポーツマッサージ治療院は、2年前のSAJスノーボード指導員検定の時の激突による
肩関節脱臼以来のお付き合いである。先生は元プロ球団中日のトレーナーである。
今でもプロ野球選手や大相撲名古屋場所での関取の体を診てトリートメントしている有名?なトレーナーだ。
結構、治療を受けながらスポーツ談話で楽しい。
 
股関節の柔軟性拡大のための手技をひとつ紹介しておこう。
仰向けに寝て、股・下肢を軽く開き、片方から下肢を斜め25度程度に挙げ(ゼロのポジション)て
足部を掴みその回内と回外運動をゆっくり行う。
そうすると術側の下腿・大腿の下肢全体がゆらゆらと動き、ほぐされている。
決して、強く早くしてはいけない。あくまでも「気持ーち良く」が大切。
これを反対の脚でも行うと、股関節周りの筋と腱のほぐしができる。
試してみてください。写真参照
2006/10/8

86ゼミ同窓会

2004年5月の熊本阿蘇ミーティングから2年ぶりに教え子たちの同窓会が静岡市日本平で開かれた。
北は札幌、南は九州熊本から12名の中年?が集った。卒業以来20年ぶりに再会する人もいた。
昨日までの関東地方を襲った秋雨前線も通過し、遠州灘の空は真っ青く晴れ渡り、
知多から2時間半210kmのバイクツーリングは快適そのものであった。
最後の日本平のワインディングも短い時間であったが楽しんで山の上のホテルに着いた。
  
 20年の歳月を感じさせないような昔話で宴会は進み、
東京から日帰りで参加した女性のヨガ教室(写真)も始まり、
最後は明日が43歳の誕生日の通称金ちゃんを持ち込み違反のバースディケーキに火をともし祝った。
鹿児島吹上から送られた本場の美味しい芋焼酎を頂きながら
夜遅くまで笑いの連続で時のたつのも忘れ話し込んだ。
20年経って女性と男性、どちらが変わってないのだろう。どちらが変わったのだろう?
ほぼ皆太り、やや髪の毛が薄くなり、白くなりつつある男性群。
女性郡は出産・育児を終えたのにほとんど変化なし。
 
皆の話を聞きながら、今のゼミ学生たちが20年後にこうして全国から集い
果たして心の底から交流しあえるだろうか?とふと今の自分の教育スタンスに不安を抱いた。
コンピュータ、フィールドワークなどなど確かに細かな技術的教育は進んでいるが、
青年のトータルな生き様に何も夢を語れていないような気がしてならない。
当たり前だが一番年上の小生はバイクの疲れで皆の話と笑いが子守唄のように早々と寝込んだ。
 
翌日は「写真で見る大学とゼミの様子」「40歳からの健康とスポーツ」と題して
現在の大学の様子と40過ぎ手からの健康づくりの重要性について
高齢者の運動プログラムの効果を示しながらお話した。
チェックアウト後再びホテルの広大な芝生でのんびり富士を眺めたり、記念撮影をしたり。
抜けるような空の下で芝生に大の字になり、思い存分自然を満喫した。
久能山東照宮を参詣してから皆とは別れて帰路に着いた。
また、次回の開催地『横浜』で2年後に会いましょう。
若返った2日間でした。
 
280km、5時間半かけて、日本平から150号線を焼津、御前崎、浜松、
1号線を豊橋、23号線を蒲郡、刈谷そして知多まで無事に帰宅した。
折りしも10m以上もあろうかと言う西の風で高速道路の運転は危険と見て
下道ばかりの行程を組み走ったが、海辺、特に風の町浜松辺りは苦労した。
おまけに、渥美半島の伊良湖岬から知多半島の師崎までフェリーの予定だったのだが、
強風で欠航との情報を得て途中で引き返し、大きなロスとなった。
同窓制の集いとツーリング、良い思い出となった。